2月19日に ”雨水”* を迎え 東京の桜の開花予想 3月20日と、
発表され、もうそこまで 春は来ています。
如何お過ごしですか? 建築 松本です。
*雨水:季節の指標である「二十四節気」の2番目の節気。
「降る雪が雨に変わり、雪解けが始まる時期」と いう
意味で、2024年は2月19日(月)~3月4日(月)です。
また、「雨水に雛人形を飾り始めると、良縁に恵まれる」と いう
言い伝えから、雛人形を飾るのにおすすめの 日だそうです。
また、例年 この時期に 梅は見頃を 迎えます。
木造住宅は 尺モジュールが多い
家づくりでは、長さや幅をあらわす際に、間(けん)、尺(しゃく)、寸(すん)
という 言葉がでてきます。
これは日本で古くから使われてきた 尺貫法によるサイズです。
でも、mやcm で長さを表すのが一般的になっている今 なぜ 間 や 尺 を
使うのでしょうか?
身体の大きさによる身体尺がもとになっている尺貫法
ものの長さを表す単位には、身体のサイズをもとにしているものが
多くあります。例えば インチは 親指の先から第一関節までの長さ から
きており、1インチは2.54cmです。
また、フィートは、足の先から踵(かかと)までの長さがもとになっています。
このように、人の身体の一部の尺度を決めた単位を「身体尺」といい
尺貫法も身体尺を基本に出来ています。
「尺」という漢字をよく見てみると、これは象形文字です。
親指と人差し指を広げて テーブルに立てて、手で長さの様子を
表すもの。この指を広げた長さは、約15cm。
2倍にすると、1尺に当たる約30cm。
この3倍数の180cmが建築寸法の1間(6尺)になり、
人が余裕をもって 寝ることが出来る サイズ。
畳の長辺の長さもここから きているのです。
木造住宅では、このモジュールを3尺である910mmとしていることが多く
そのため 様々な内部の幅や奥行きなどが この寸法により決まってきます。
これを 尺モジュール と言います。
この91cm×91cmを一つのグリッドとすると、4つのグリッドが
1坪になります。1坪が畳2枚分です。
これに対して、メーターモジュール と言って 1m×1mを
グリッドとする手法もあります。
メーターモジュール を取り入れている工務店やハウスメーカー
もありますが、そのメリットとしては、
グリッドが尺モジュールよりも広い1mであるため、廊下やトイレ
階段の幅が最初から広く出来ることです。
しかし、メーターモジュールに対応した建材はどうしても割高になります。
構造用合板 や ユニットバス でもメーターモジュールのものもありますが、
流通量が少ないため、尺モジュールよりも高くなってしまいます。
特に こだわりがない場合は、尺モジュールにしておいた方が 無難だと言えます。
モジュールから決まる廊下・階段・トイレの幅
間取り図を見たときに注意していただきたいのは、
壁の 芯々寸法 と 有効寸法 があるということです。
壁の芯々寸法は、壁の中心から中心の寸法を指しますので、
ここから 壁の厚さを引いたものが有効寸法となります。
尺モジュールの場合は、廊下や階段、トイレの有効幅は約78cm
となることが多いです。
柱の芯々寸法が91cmですので、壁厚(柱105mmと石膏ボード
12.5mm×2)を引けば78cmとなるためです。
注意したいのは、柱を120mmとしている工務店や大工もいますので、
その場合は 有効幅は76.5mm と少し狭くなります。
なお、メーターモジュールの場合は 柱の芯々寸法が100cmですので
壁厚(105mmと石膏ボード12.5mm×2)を引けば 87cmとなります。
長さの単位はmやcmで表示される現代でも、尺モジュールが使われる
メリットは、既製品の設備機器が有効に配置しやすい。
キッチンやユニットバス、洗面台、トイレ といった既製品の
設備機器の多くが910mm(3尺)の単位に納まるように
作られています。そのため それを配置する家の間取りも尺モジュール
にすることで、無駄なスペースがでにくくなります。
石膏ボードや各種合板といった家を建てるために必要な面材は
3×6板(3尺×6尺)のサイズが基本です。
このサイズよりも大きな面材が必要な場合は、特注品になるケースがあります。
尺モジュールで納まる流通材を使用することで、材料費のコストアップを
抑えることが可能になります。
日本人の体形に馴染みやすい
昔に比べて体格が良くなっている日本人ですが、それでも世界の中では
比較的小柄です。
間や尺や寸は、小柄な日本人の身体サイズをもとに生まれた単位。
そのため 尺モジュールで作られた空間は、大き過ぎず、小さ過ぎず
日本人の身体の動きに馴染みやすい のでは。 と 言われています。
身近な「建築由来の言葉」
実は私たちの暮らしの中で使われている言葉には、建築用語が語源
のものが結構たくさんあります。
「住まい」は、人の生活には 欠かせないものです。住まいに関する
建築用語から様々な言葉やことわざ、慣用句が生まれたのも、
そういう意味では 不思議なことでは ないかもしれません。
ここでは、そんな言葉をまとめてみました。
二つのものをつなぎとめる 「子はかすがい」
子供がいなければ崩壊してしまうかもしれない家族を例えた言葉で、
子供に対する愛情が夫婦としての縁をつなぎとめてくれる という意味です。
かすがい は、2本の木材をつなぎ合わせる時に打ち込む 大きな釘のことです。
コの字型しており ちょうど巨大なホチキスの針のようなものです。
「お隣さん 子供が生まれてから夫婦喧嘩 減ったみたいだね。子はかすがい
って本当だね。」と いうように使います。
今でも建築図面に書いてある「いの一番」
最近ではあまり使われなくなった言葉ですが、「いの一番」と いうのは、
一番最初にする という意味です。
「いの一番」とは、家を建てる時に最初に柱を建てる位置のことを 指します。
柱の位置は「番付」と いうもので決められていますが、
横方向は い・ろ・は で、縦方向は 一・二・三 となっています。
基礎が出来て 最初に柱を建てるのは、「い」の「一番」。
そこで最初の掛け声が、「いの一番」なのです。
商人の見栄からきた「うだつが上がらない」
「うだつ」は「卯達」と、書きますが 昔、隣家との境に設けられた袖壁
のことです。ひしめきあって建っていた町は 火事になると燃え広がって
しまいますので、それを防ぐために 卯達を防火壁として立てるようになった
のです。この防火という本来の目的以外に、次第に装飾として流行りはじめ、
特に商人たちが競い合って豪華な卯達を建てるようになったことから
「なかなか出世しない」「地位が上がらない」「生活が向上しない」
「ぱっとしない」さまを、「うだつが上がらない」 と表現するように
なりました。
「もう20年も働いているのに ほとんど給料も上がらず、役職も付かず
うだつが上がらない」と いうように使います。
住宅建築にも大切な「埒(らち)があかない」の「らち」
「埒(らち)」というのは、囲いや塀のことです。 もとは主に馬場の
周囲に設けられた柵のことを言いました。
馬を走らせて勝負を競う「競べ馬」の際に、この柵が開くまで競技が始まらない
ことから なかなか思うように物事が進まず、途中で 止まっているような状態
のことを「埒があかない」と、言うようになりました。
他にも「埒」を使ったものに「不埒(ふらち)」という 言葉が
あります。これは、柵がない。つまり 法 や 道徳 に外れており 道理がない
という意味で 「不埒な行い」などと いうように 使います。
混ぜて練って叩くから 「たたきあげ」
「たたき」は「叩き」ではなく、「三和土(たたき)」が 語源です。
これは 「敲き(たたき)土」の略語で、三種類の材料(赤土・砂利などに
消石灰とにがり)を混ぜて練り、叩き固めることから 「三和土」と
書かれるようになりました。
(三和土)
ここからは、「オヤジの呟き」です。
先日 最近では全く目にも耳にも 触れなくなった 「おとぎ話」。
この話の結末が、我々が読み聞かされていた頃とは 違うそうです。
幼児の頃 「サル蟹合戦」「一寸法師」「因幡の白兎」「桃太郎」
「花咲じじい」共通しているのは、悪い奴を懲らしめて、退治して
ハッピーエンド の話でしたが、
今では、最後に戒めて 話し合いダケで解決させ
悪者でも、殺したり、傷つけたりしない 風に変わったという 話を
聞き ビックリしました。
相手をいじめたり、傷つけたり することは、今では許されず、
相手と話し合いをし、悪いことをした子とも 仲直りをさせる
指導に変わってきているそうです。
1980年代の人気ボーカルグループ 「シュガー」
歌詞の中に「くたばっちまえ! アーメン」とあり
この歌詞が強烈過ぎると、今の若者は受け入れられない 話聞き
ビックリしました。
「シュガー」は、
リードボーカルでピアノのミキ (笠松美樹)
ギターのクミ (長沢久美子)
リーダーでベース担当のモーリ (毛利公子)で
結成された3人組 ボーカルグループ。
1981年にデビュー曲「ウエディングベル」を発売。
美しいハーモニーと、元カレの結婚式に招かれた女の子の切ない心情を描いた
歌詞が話題に。歌詞の中でも モーリが 「くたばっちまえ!アーメン」
と歌った斬新で過激な表現が注目を集め 48万枚のヒット。
紅白歌合戦にも出場しました。
*リーダーの モーリ(毛利公子→徳本公子(結婚により改姓))
1990年4月 第二子 出産時 突然死。(享年31歳)
(元日本兵 横井庄一さん)
随分と世の中の考え方が変わってきたな と、思います。
自分が9歳の時 1970年(昭和45年)三島由紀夫 自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺。
自分が11歳の時 1972年(昭和47年)戦後27年間もグァム島ジャングルで潜伏
を続けていた 元日本兵・横井庄一さん帰国。
自分が13歳の時 1974年(昭和49年)戦後29年間も フィリピンジャングルで
潜伏を続けていた 元陸軍少尉・小野田寛郎さん 帰国
高度経済成長期、名実共に経済大国となった日本。
高度経済成長期とは、
1955年(昭和25年)~1973年(昭和48年)までの18年間を 指します。
日本経済は、年平均で10%もの成長を続けました。
*ちなみに、バブル経済とは、1980年後半~1990年初期にかけて
起きたことを指します。
自分がまだ10代の頃は、街にはまだ戦争経験者が多く、住宅の窓ガラスには、
飛散防止のため、テープが貼ってありました。珍しくない光景です。
昭和30年~40年代 高度経済成長期 真っ只中の日本を象徴するものの
ひとつに 「団地」 があります。地方から都市部に多くの労働者が移り住む
事に合わせて、各地に建設された団地。
当時の先進的な住宅設備を備えていたこともあって、モダンな生活を夢見る
家族にとっては 憧れの住まいでした。
団地は、6畳・4畳半・ダイニングキッチン の2DK、食事する部屋と
寝る部屋を分ける「食寝分離」で、それまでの生活スタイルを一新させ、
憧れの住まいとなりました。
(多摩ニュータウン)
あの時代は、戦争に敗れたものの どん底から這い上がり、見事に復興を果たし
意気揚揚とし、自信に満ち溢れていた時代と 思います。
まだ、警察官が威張っていたし、学校の先生や病院の先生が強く
学校や自衛隊 社会でも、 日常茶飯事に、叩いたり ビンタしたり
(今では パワハラ行為)が当たり前の時代でした。
ま、それが良い 悪い は別にして、自分の考え方もいつまでも
昔のままでは ダメです。
自分の頭の中もアップデート が必要だなと思うように なりました。
最後まで ありがとうございます。
投稿者プロフィール
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株式会社坂本組の広報担当です。
私たちの強みは地域密着であり、伊勢原市を中心に地域の皆様とのつながりを大切にしています。
お仕事に関することから、地元のニュースや食べ物など日常のことまで、幅広く発信をしています。
みなさまに親しみを持っていただけるよう更新を続けておりますので、ぜひ他のブログもご一読いただけますと幸いです。
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