6月20日
いよいよ 梅雨に入り雨の日が続いています。
と、言いたいところ 雨降りませんね。
雨が続くと 湿度が高く体調不良を訴える方もいるでしょう。
しかし、雨のおかげで水田は潤い、紫陽花は綺麗に咲き、
蛙は、ゲロゲロと嬉しそうに鳴くのに、
今年は、もう”梅雨明け” かと思うほど 猛暑が続いています。
如何お過ごしですか? 建築部 松本です。
今回は、 ”長期優良住宅” について、説明していきます。
長期優良住宅 とは、「長く良好な状態で住み続けられる性能の高い住宅」のことです。
国土交通省の「長期優良住宅の普及の促進に関する法律」に基づき、認定される住宅です。
新築だけでなく、既存の住宅の増築や改修も対象になります。

長期優良住宅 制定の背景
戦後以降の日本では、人口の増加や都市化の進展、経済成長もありどんどん住宅が建てられました。
しかし、質よりも量の住宅建築を進めた結果、「長持ちしない」家ばかりが増えてしまいました。
実際 日本の住宅利用期間は平均30年と、他国と比べても非常に短い期間で取り壊されてしまっています。
(平均築後年数 アメリカ:55年、イギリス:77年)
これは、日本の地形や気候などの自然条件や地震発生頻度などによるものもありますが、
「住宅購入するなら新築が良い」という 国民の新築志向やメンテナンス(修繕・リフォーム)を
しながら 長く住み続けるという習慣が根付いていないこと、また築年数が経過することで、
資産価値が急激に低下してしまうことで、中古住宅市場があまり活発でなかったことなども
原因とされています。
また 当時の日本では少子高齢化に伴う福祉負担の増大や 地球環境問題の
深刻化も問題視されていました。
「造っては壊す」従来のスタイルでは今後の持続可能な社会が成り立たないと、考え
「いいものを造って、きちんと手入れして、長く大切に使う」
ストック型の社会への転換・住宅の長寿命化を叶えるべく
”長期優良住宅の普及の促進に関する法律」が 施工されました。

長期優良住宅 の認定を受けるためには
1. 長期に使用するための構造及び設備
2. 居住環境等への配慮
3. 一定面積以上の住戸面積
4. 維持保全の期間、方法の定め
5. 自然災害への配慮
以上 5つの措置を講じた上で、必要書類を揃えて所管行政庁(市区町村長
又は 都道府県知事)に提出し、認定を受ける必要があります。
認定後にも 維持保全計画に基づいた点検も必要です。
認定を受けると主に税制面等での優遇措置を受けることが可能です。
例えば、2024年 から新たに施行された 「子育てエコホーム支援事業」でも
長期優良住宅を取得していることで、最大100万円の補助金が受けられます。
一方で申請の手間が増えることや、長期優良住宅の認定を受ける為に必要な
建築仕様の採用によるコストアップなどの注意点もあります。

長期優良住宅のメリット
メリットは大きく4つです。
メリット1:税の特例措置が受けられる
① 所得税の減税が受けられる(住宅ローン控除の控除額が増える)
② 登録免許税が安くなる(税率の引き下げ)
③ 不動産取得税の控除額が増える
④ 固定資産税の減税措置を長く受けられる
メリット2:地震保険料の割引が受けられる
耐震等級2 地震保険料 割引率 30%
耐震等級3 地震保険料 割引率 50%
免振建築物 地震保険料 割引率 50%
メリット3:住宅ローンの金利が優遇される
メリット4:地域型住宅グリーン化事業の補助金が受けられる
地域型住宅グリーン化事業は、国土交通省が推進する
地域の中小工務店が中心となって省エネ性能や耐久性に優れた
木造住宅を建設する際に補助金が交付される事業です。
これは、地域材の活用や三世代同居への対応など、
地域の特性に合わせた住まいづくりを支援することを目的としています。
地域型住宅グリーン事業では、建築を依頼する発注者に対して補助が行われる
のではなく、採択を受けたグループに対して補助が行われるという点が
最大のポイントとなります。
発注者は、グループを通じて間接的に補助を受けることになります。
長期優良住宅のデメリット
・建築コストがかかる
・定期点検が義務付けられる
・立地によっては 認定を受けられないこともある
長期優良住宅は、長期間にわたり良好な状態で使用できることを目的に
しているため、省エネ性能だけでなく、「耐震性を高める」「定期点検を実施する」
などが必要であることが特徴です。

もうすぐ標準になるZEH(ゼッチ)とは?
実は、2030年には全ての新築住宅でZEH基準を目指すとされていて、
住宅を購入・建築する際に念頭に置くキーワードとなっているのです。
ZEHとは、Net Zero Energy House(ネット・ゼロ・エネルギーハウス)の略で、
家庭で1年間に消費する 一次エネルギー量の収支が、正味ゼロ又は
マイナスになる住宅のことをいいます。
2025年4月には、全ての新築住宅・小規模住宅を対象に「省エネ基準の適合」が
義務化されます。
これは、地球温暖化が深刻化したことにより、2020年10月、政府が
「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする ”カーボンニュートラル
宣言”」を行ったことが背景にあります。
2025年以降 省エネ基準に適合しない住宅は 補助金などの取得支援策の
対象から外され 原則としては建てられないことになります。

今 ”カーボンニュートラル宣言” をしたことにより、
建物や自動車、災害対策 など どんどん変わっていきます。
知らないと、補助金・所得税減税 など優遇措置に乗り遅れてしまいます。
それでは ”オヤジの呟き” です。
最近思うこと 勝手に呟きます。
明日 6月21日は 夏至です。
日の出 4:25頃
日の入り 19:00頃 日照時間は14時間35分となります。
ちなみに 2024年 冬至は
日の出 6:47頃
日の入り 16:32頃 日照時間は9時間45分でした。
約5時間も明るい時間が違うんですね。
普段何気なく過ごしていると 気が付きませんが、ちょっと気にして
具体的に 数字で見ると 驚きです。

夏越しの祓え(なごしのはらえ)6月30日
1年の半分である6月30日に、半年間ついた罪や穢れ(けがれ)を祓い清め
残り半年を無病息災で過ごせるよう祈願する神事です。
大山阿夫利神社 出雲大社相模分祠 でも行われます。

話は変わって ”青年の船” について。
約40年前 1986年6月1日~6月12日 第13回JC青年の船「とうかい号」に 私は 乗船しました。
JC青年の船「とうかい号」は、公益社団法人日本青年会議所東海地区協議会 が主催する
国内最大級の研修船事業です。
20歳から35歳までの若者を対象に、船内での研修や寄港地活動を通じて、
自己成長や交流を深めるプログラムが実施されます。
参加の際にちょっとした事件がありました。
当時 私は、三重県伊勢市の自衛隊に勤務していました。
JCの方から、”青年の船” への参加を勧められました。興味はありましたが、
目的地 中国への ”渡航許可” は自衛隊では、承認されないと思い、断りました。
* 中国と日本の国交正常化は、1972年田中角栄首相 と 周恩来首相 が署名
した ”日中共同声明” により 正常化しました。
この年に 上野動物園に2頭のジャイアントパンダが贈られ
大ブームになりました。
青年の船の件 上司に相談しましたが、やはり「諦めろ!」と一言 撃沈でした。
ところが、暫くして部隊長に呼ばれ「青年の船 行ってこい!」と、言われ もうビックリです。
直属の上司にだけしか 話していなかったのにナゼ???
後から 話を持ち掛けられたJCの方から連絡があり またまたビックリ。

(当時の北京市内 車より自転車)
そのカラクリには、政治家が絡んでいました。
伊勢JCと関わりが深いのが、当時の中曽根内閣の官房長官 藤波孝生氏でした。
その藤波氏が当時の防衛庁長官 加藤紘一氏に話していただき
陸上自衛隊 末端のイチ自衛官の為に、防衛庁長官→陸上幕僚長→中部方面総監
→明野駐屯地指令→教育支援飛行隊長 と 普通話は階級の低い者から上へ
上申するところ、防衛庁長官から命令が下へ下へと下がってきました。
この珍自体 噂話はアッという間に狭い駐屯地中 駆け巡りました。
もう 後には引けず ”青年の船” に参加させて頂きました。
当時の中国の国内情勢がどんなところなのか、皆が興味を持っていました。
お陰様で ただ行って帰るだけでなく、中国国内で見たこと・聞いたこと
を駐屯地中の隊員を体育館に集め 何回かに分けて 中国事情を発表 説明
する講演会を帰国後 しました。
当時の中国は、生活水準は日本よりも20年位遅れているような印象でした。
人の着ている服は カーキ色の国民服で、街には自動車はまだ少なく、自転車ばかり。
道路には、自転車がいっぱい広がって走っていました。
農家のお宅訪問した時も、テレビ・冷蔵庫・洗濯機 などの家電製品は
見当たりませんでした。
ちょっと恐ろしかったのは、街のあちこちにまだ 軍服を着た兵士が
肩から銃を下げて立っていることです。たまたまバスの中から見ていて
街の兵士が(状況は知りませんが)銃を構える光景もありました。

(この当時まだ派手な衣装は着てません)
青年の船は、国内最大級の洋上研修船です。
愛知・三重・岐阜・静岡 の4県から520名の研修生と有名講師とJC団員
全550名の一大プロジェクトです。
今年 47回目を数え まだ実施され続けていることを知り 嬉しく思いました。
行程は、名古屋港から4日間で中国天津(てんしん)港へ行き、天津から
列車で北京(ぺきん)へ向かい、北京に4日間滞在。
帰りはまた天津港から4日間で名古屋港へ帰ります。
研修生520名は、4つのブロックに分かれ、さらに3つのチームに分かれ
ひとチーム43名 移動はチームでバス1台分です。
船は 大型船の”新さくら丸”で 部屋は、2段ベット2台の4人部屋です。
まるで、学校 日直やリーダーも交代で廻ってきます。
一般民間会社の新人研修的役割も担い、費用会社負担で参加されている方も
大勢いました。
起床6:00 消灯23:00 と毎日細かくスケジュールが決まっています。
夕方は毎日 予め希望出した運動部のクラブ活動参加です。
洋上運動会もあるし、たった12日間の学生生活 復活です。
中国国内では、人民大会堂で中国青年団との交流会。
家庭訪問や学校、博物館や主要生産工場の見学もありました。
ただの中国旅行ではなく、日本を代表する青年団体が中国を表敬訪問 と
いう感じでした。何処へ行っても ”熱烈歓迎” と書かれた赤い横垂れ幕が掲げられ
凄い歓迎ムードでした。
困ったことに、これだけの大人数での移動ですから、大型バス15台で大移動です。
当時 北京市内の交通モラル が大変に悪く、交差点では信号があるのに
もの凄い数の 自転車の団魂は、全く信号を見ていません。
一旦 信号で止まると、信号関係なく とめどもない自転車の列は終わらず、
バスは、発車出来ません。結局 パトカーに先導してもらい、バス15台は途中で
信号が変わろうが、一気に15台 走り抜けます。
日本とは全く違う 中国のお国柄 大変驚きました。
北京市内でも、日本の生活水準とは違い、まだまだ自家用車が珍しい時代です。
しかし、子供たちの目は キラキラして希望に満ちているようでした。
ところが、今ではどうでしょう。あれから40年。
日本は、抜かされてしまったように見えます。
今では、中国人の富裕層たちが「爆買いツァー」と、称して
大勢日本へやってきます。

(万里の長城)
青年の船 後から思うと、たった12日間の旅でしたが、
12日間、本当にずっと同じ仲間と、悩み、考え、笑い、密度の濃い期間でした。
家族や仕事仲間とは、その間 逢うことなく 船の中ダケです。
ある意味 隔離された空間にずっと居たわけです。
ただの旅行でなく、皆で考え研修発表したり、一緒に中国の歴史・文化を勉強
したり、洋上運動会では、チーム対抗で競ったり、楽しかったです。
社会人になってから、忖度なしに新しい仲間と触れ合う機会はほとんどないなか、
本当に貴重な経験でした。たった12日間なのに、一緒に寝食した仲間と
情が移ってしまい 船を降りるときは皆大号泣。
今回も最後まで お付き合いありがとうございます。
投稿者プロフィール

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株式会社坂本組の広報担当です。
私たちの強みは地域密着であり、伊勢原市を中心に地域の皆様とのつながりを大切にしています。
お仕事に関することから、地元のニュースや食べ物など日常のことまで、幅広く発信をしています。
みなさまに親しみを持っていただけるよう更新を続けておりますので、ぜひ他のブログもご一読いただけますと幸いです。