坂本組ブログ

給湯器大丈夫? 寒くなると トラブル多し!

 いよいよ 2023年卯年 スタートしました。
正月気分も抜けてしまうと、今年の干支も分からなくなり
また、アッという間に 1年が流れてしまいます。
 時間に追われず、トキ(時間)を大切にし ゆったりと
逆に 時間を追いかけてみたいものです。 建築部 松本です。

 寒くなると 給湯器が故障し易いです。
それは、寒くなると水温も低くなり、給湯器の熱交換器(水をお湯に変えるところ)
で、沢山燃焼させないと お湯に変えることが出来ないからです。
 つまり、暖かい時期よりも 給湯器がフル回転していて、給湯器内部の部品に
通常以上の負荷がかかるので、給湯器が壊れ易くなるのです。

 給湯器が壊れてしまうと、キッチンや洗面所のお湯が出なくなるばかりか
お風呂に入ることも 出来なくなり、寒い時期だと大問題です。

10年以上使っている給湯器は 要注意です。
 給湯器を設置している場所や環境、使用状況によっても異なりますが、
一般的に給湯器の寿命は、10年~15年と、言われています。
早い場合は、7年~8年で寿命を迎える時も あります。

 メーカーで定められている ”設計標準使用期間” は、”10年” と設定され
ています。
また、通常発売から10年で 部品の製造も終了してしまうため、
10年以上経った給湯器が 故障した場合は、修理対応が出来なかったり、
対応出来ても 修理費がかさむ場合があります。
 その為、給湯器の交換時期は 設置後10年~15年目安になります。
つまり 10年以上使っている給湯器は いつ壊れるか分からないので、
故障してから慌てるより、故障する前に交換することを 検討することも
必要になります。
 ※設計標準使用期間 とは、標準的な使用条件の下で 安全上支障なく
  使用することが 出来る期間のことです。

トラブル1 凍結でお湯が出ない
 寒さが原因で起こる給湯器の故障の代表は 「お湯が出ない」症状です。
特に寒い時期には 配管内の水が凍結し お湯が供給されないことが あります。
もし、凍結してしまった場合は、気温の上昇による自然解凍が一番で、
給湯器本体や配管にも負担をかけない方法になります。
でも、少しでも早くお湯が使いたい という場合は、給水配管にタオルを巻き、
30℃~40℃位の ”ぬるま湯” をゆっくりとかける という方法もあります。
 但し 早くお湯が使いたい、からといっても、絶対にしてはいけないのが
熱湯をかけることです。
熱湯をかけると、配管が破裂することがあります。

対処方法1 配管の凍結を防ぐには 保温が大切
 有効な手段として、市販の円筒状の保温材を被せたり、保温シート
巻き付けて固定するなどして、凍結を防ぎます。
特に寒冷地では、保温材だけでは不十分ですので、電熱式の凍結防止帯などを
使い 凍結を防ぎます。

対処方法2 給湯器の水抜き と 長期不在でも電源確保
 長期間 家を空け給湯器を使わない時期が長くなると、
配管内の水が動かないので、凍結し易くなります。
家に帰ってきて お風呂に入ろうと思ったら、お湯が出ない なんて状況は
少なくありません。
こういったトラブルを避ける為に、家を留守にする時は、
給湯器の水抜き を行って下さい。
水抜きをして 配管内に水を残さないことで、配管の凍結を防ぐことが
出来ます。
 また、最近の給湯器には、基本的に凍結予防ヒーターが付いているので、
ブレーカーを落とさなければ、ある程度の凍結は、防げます。


トラブル2 お湯が出るまでに 時間が掛かる
 寒い冬場は 水温が低い為 夏に比べて給湯器内でお湯に変わるまでに
時間の掛かるのは 仕方のないことです。
但し お湯になりづらいということは他の不調が現れていて、
給湯器自体が故障している可能性があります。
給湯器の故障を表す症状がないか、確認をして下さい。

対処方法3 エラーコードが出ていないか確認
 エラーコードとは、給湯器の異常を示す2桁~3桁の数字で
給湯器のリモコンに 表示され 燃焼不良などを知らせてくれる サインです。
取扱説明書やメーカーのホームページで エラーの解消方法を確認
することできますが、何度やっても エラーコードが消えなかったり、
自分での解決が難しい場合は、早めに修理業者に連絡して下さい。

対処方法4 危険な症状が出ていないか?
 重大な事故につながる可能性がある症状が起こっていれば、
給湯器の使用を中止して下さい。
例えば、給湯器から黒い煙が出ていたり、大きな音がしていないか です。
これらの異常は、火災や爆発の事故につながる可能性がある為、
専門家による判断が必要になってきます。
その他にも、お風呂のお湯がぬるかったり、お風呂の追い焚きが出来ない
などの症状が表れれたら、給湯器の性能が下がっていて、
交換 間近のサインと見た方が良いでしょう。

 給湯器は今や生活必需品の一つです。
生活必需品の給湯器が故障してしまった場合交換あるいは 修理の選択
を迫られることになるでしょう。
給湯器のトラブルが冬場に多いということは、いざ壊れた時に、工事日程が
混みあっていて、直ぐには対応してもらえないことも あり得ます。
 そうならないように、普段から給湯器の異常に耳を傾けて
故障のサインを 見逃さないようにして欲しいと思います。

話は変わって  家を買うタイミング
 現在 超低金利が続いていて、マイホームを取得し易い状況です。
しかし、不動産価格 や ウッドショック の動向を見ても 急いで住宅取得
する状況では ありません。

① ウッドショックの影響
 ウッドショックとは、輸入木材が手に入らず 大きな混乱が生じている状況の事
です。2021年3月頃から顕在化して 中小の建設会社を中心に 着工遅れが
発生しました。
2022年5月末をピークに 落ち着き始めたものの、ロシアのウクライナ侵攻で
ぶり返した形です。暫く輸入木材だけでなく、国産木材も手に入りにくい
状況が続くでしょう。

② 生産緑地問題の影響
 2022年以降 ”生産緑地” と呼ばれる農地が宅地として 一気に売り出される
かも知れません。そうなると、土地の価格が下がる要因となります。
 ※生産緑地 とは、市街化区域内にある 生産緑地の要件を満たした農地
  または 森林のこと。
  (平成26年末時点で、約13,400ha(約4,000万坪)あります。

③ 不動産価格の影響
「コロナ禍で不動産価格が下がるのでは?」と、期待されましたが、
今のところ その気配はありません。コロナ禍以前とほとんど変わらない か
やや上がっている印象です。
 ≪国土交通省 ”不動産価格指標”≫
 都心部の利便性が高いエリアの中古マンションは、”買い上がり現象” 
起こるなど 人気に火が付いています。
つまり 需要が供給を上回り 売り出し価格より成約価格のほうが 高くなって
いるのです。
 一方で、東京都の転入超過数は、2000年7月から2021年2月まで マイナス。
大幅増になる3月でさえも、例年の7割程度でした。
これは、人口密集地を避けたい心理 と リモートワーク普及 の影響でしょう。
 「軽井沢が新築ラッシュで地価が10%上がった。
 「首都圏に通いやすい地域以外は無風。」 というニュースもありました。
コロナ禍の影響は、観察する場所によって  かなり違うようです

お待たせしました ”オヤジの呟き” です。

 前回の続きで、オーストラリア での生活について お話しようと思います。
私は 1988年4月~1989年3月 の間 オーストラリアに ”ワーキングホリディ ビザ”
で1年間 滞在しました。
住むところ
 最初1か月間は、予め 日本から手配しておいた 一般家庭のお宅に
ホームステイ しました。
ホストファミリーも とてもいい家族で、言葉の不自由な私に対しても
とても良くしてくれて、まるで自分の家のように快適でした。
ただ、ビックリしたことは、お世話になり始めた 最初の週末 日曜日
家族全員で車に乗り、大きくて 綺麗な公園に連れて行って くれました。
公園に着くと 全員降りるものかと思っていたら、
「さあ、着いたよ! 夕方までに家に戻ってくればいいから。
 ハブア ナイス ホリディ!」とか言って、私ダケ降ろされてしまった。
それからが 大変。無事に戻れるかどうか 不安で 遊ぶことも出来ず、
直ぐに 帰る為の手段を考えました。
ホストファミリーのパパさんは、もしかしたら こうなること
私に確認していたのかもしれませんが、私も愛想よく意味も分からず
何でもかんでも、適当に 「イエス!」 と、言っていた結果かも。

 ホームステイが終わり、2ヶ月めからは、友人に紹介された
”ゲストハウス” (日本でいうと 下宿屋 で、いろいろな国からやってきた
若者10人位と 共同生活です。朝食付きで、バス・トイレは、共同 という
スタイルです。) に約4ヶ月生活しました。
 この頃には、仲間も増え アパート・アルバイト・家電製品の譲渡 など
色々な情報を 集めました。シドニー市内に ”ワーキングホリディ事務所” があり
いろいろなアドバイスも もらいました。

 シドニーに来て 5ヶ月め 同じ ワーキングホリディ 出来ている人で
日本へ帰国する人がいて、その人が住んでいた アパートに移ることになりました。
そこがまた すごく眺めの良いところで、シドニーのハーバーブリッジを
見下ろせる高台で、夜になると、港を出入りする船の夜景が とても綺麗でした。
夜になると、いつも部屋の電気を消し 一人でワインを傾けながら
夜景をボ~と、眺めていました。

② アルバイト(生活するための仕事)
 ホームステイを終え、2ヶ月めから1か月間は、ハイアットホテル内の
日本食レストランで働きました。オーナーは、日本人でなく、韓国人でした。
働いている ホールスタッフも、多国籍で、日本人は私一人で、オーストラリア人
アメリカ人 韓国人 フィリッピ人 インドネシア人 他多数です。
このハイアットホテルは、日本航空の乗務員がステイするホテルで、
制服姿のクルーが、搭乗前や到着後の食事をグループで
この日本食レストランでとっていました。
 この時 初めて人種差別を受けました。韓国人オーナーがダメ。
レストランで働いている時 昼・夜 ”まかない飯” が出されるのですが、
食事時間になると いつもオーナーは、私にだけ 便所掃除をいいつけるのです。
掃除を済ませ 食事をしようとすると、もう満足に食事は 残っていません。

 次に選んだ仕事は、免税店です。日本人スタッフも多いし、店も繁盛し
給料も週払いで、居心地も良く安心です。ただ 来る客は ほとんど日本人。
だから会話は日本語で、買い物も1万円札OK という感じで
日本に居るのと全く変わりありません。

 滞在期間1年の内 半年近く経とうとしている頃 ”ツアーガイド” の欠員あり
後半は、ツアーガイド していました。
当時 日本では、オーストラリア ブームで毎日のように 沢山の日本人が、
シドニー空港に降り立ちます。
観光客を空港で、迎え レストランや免税店を紹介したり、ホテルの
チェックインを手伝う仕事 していました。
人数は、リムジンハイヤーで迎える 新婚さん二人から 会社の慰安旅行
で観光バス1台(20人~30人)まで、様々でした。
 正月の慰安旅行のグループで、ヤクザっぽいお客様10人のグループを担当
しました。シドニー空港(国内線)で迎える事から、スタートしましたが、
雰囲気がトゲトゲしていて、何か違うもの感じました。
もう既に 日本からオーストラリアへ数日前に入り、前泊 ゴールドコースト
の競馬場で全く勝てず、大損したとのことでした。
すると、シドニーでも 定番の観光コースではなく、
競馬場へ連れて行け!」と、言われました。バスのドライバーに指示し、
競馬場に着きましたが、これからが大変!
黙って 自分たちで勝手に 馬券 買ってくれるものと思っていたら、
「絶対に勝つ馬券聞いてこい!」と、言われ ホトホト 困りました。
自分自身が競馬やらないのに、言葉も不自由な異国で、誰にどうやって
聞けばいいのか。普通に窓口で聞いてもダメだし、考えました。
片っ端から いる人 警備員、掃除のおばさん、駐車場のおじさん
数字だけ聞き、一番多い数字を 幹事さんに伝えました。
掛ける金額も何十万単位だから、外れる度に 怒りもエスカレート。
何回レースが無駄に 全く勝てず過ぎたことか、幹事さんが
「もうこれで、終わりだ! 絶対に当てろ!」と、言われ
私も もう終わりだ! これでダメだったら、何されるだろ~ すっごく不安。
 火事場のバカちから(ド真剣) か 天が味方してくれたか 最後 大穴 大儲け
やっと 皆 笑ってくれて、生きた心地しました。
チップも凄くて、30万円 現生で差し出されました。

 ツアーガイドの時 もう一つ凄い経験しました。
お客様の旅行日程がすべて終わり 日本へいよいよ帰国という時
空港に行く前に立ち寄った昼食を食べたレストランで、食事中 パスポート・
エアチケットの入ったショルダーバックを お客様は椅子の下に置き、
食事をしている間に、全く気が付かず盗まれてしまいました。
 当然本人は、飛行機に乗れない為 帰国出来なくなりました。
こんな時、新人ガイドだと 一緒に慌ててしまいます。が、予め
ツアーガイドの会社から 「トラブルに巻き込まれた時こそ、
ガイドは 慌てるな! 沈着・冷静にお客様に寄り添い 安心させて
あげなさい。」と、教育されていました。

それからまず、他の人達を飛行機に乗せ 紛失した本人と付き添い人の
その日の宿泊先を確保し、事務所から日本領事館に連絡してもらい 
臨時のパスポート発行手続きを 進め
一刻も早く出国できるように手配しました。
不幸中の幸いは、荷物のチェックイン前だったので、荷物だけの帰国
の最悪の事態は免れました。
 ツアーガイドをしていて、なかなかの経験 させてもらいました。

③ その他興味深いところ
 オーストラリアの特徴 旅行の時 気を付ける事
飛行機は、南に飛ぶので アメリカやヨーロッパ みたいに東西の飛行でないので、
時差がほとんどありません。(あっても1~2時間)。
しかし、南半球なので、季節は逆です。だから クリスマス は真夏。
 また、列車やバスに乗って、陽当たり望むなら、北側です。
南半球は、太陽は北から陽が差します。
 それから、首都は、シドニーではなく キャンベラです。
キャンベラは、シドニーとメルボルンの間で、国会議事堂だけで、
何もない 田舎街でした。
 治安もいいし、気候も(シドニーは)温暖。
国土が広いので、シドニーよりも北の都市は 暑いです。
 不動産は安いし、パラダイス です。
但し 日本とは違う事 肝に命じておいて。
カメラ・鞄 など席 確保のつもりでテーブルに置きっ放しだと、
チョットしたスキに盗まれてしまいます。
友人が アパートに引っ越した時、玄関の鍵を 変えずに 前のままで
いたら、引っ越して数日の間に家の中を 泥棒にやられました。
 オーストラリア人 怠け者が多い。引っ越した時、電気・水道・電話
の開栓・接続を各会社に依頼しても、まず一度ではやってくれない。
二度・三度の催促は当たり前。

 今ではほとんど 親日家ばかりですが、当時一度だけ 日本人であることに
恐怖心を感じた事がありました。

ある時、ビルのエレベーターに乗ると、片足のないお爺さんと、二人きりに
なってしまいました。その時
「お前 どこから来た!」と、訊ねられ 愛想よく「ジャパン」と、答えると
「ジャプか!」と、憎しみを込めて 言い捨てられました。
後から 人に聞くと、 昔 太平洋戦争の時、シドニー湾にも
日本海軍の人間魚雷が攻撃しており、その時に片足 失ったのかも。と
説明され、ギョと、した事覚えています。

 結局 皆の反対を押し切って オーストラリアへ行った訳ですが、
思っていた程 劇的に人生変わる事は、なかったです。
しかし、会う独身の20代の若者には、”ワーキングホリディ” を勧めています。
海外に行って 外から日本を見つめ、日本人であることの誇りを持てる瞬間を
感じるような体験をして欲しいと、思っています。

 帰国してからは、やはりなかなか仕事には就けませんでした。
その頃、誰でも会う人 皆に 「飛行機関係の仕事に就きたい!」と、
言っていたら、遠い知人から旅客機の内装品(ギャレー・ラバトリー・シート)の
製造メーカーを、紹介され、無事就職出来ました。
つたない英語でも評価され、アメリカの航空機メーカー ボーイング社へ
出張で何度か行くような仕事 暫くやっていました。
 暫く 日本で真面目に暮らしていたのですが、またオーストラリアへの移住を
企てる気持ちが 静かに燃え始めていたのでした。

今回も長らく最後まで、お付き合い頂きありがとうございます。
暫く 寒い日が続きますが、お体ご自愛 下さい。




投稿者プロフィール

坂本組 広報担当
坂本組 広報担当
株式会社坂本組の広報担当です。
私たちの強みは地域密着であり、伊勢原市を中心に地域の皆様とのつながりを大切にしています。
お仕事に関することから、地元のニュースや食べ物など日常のことまで、幅広く発信をしています。
みなさまに親しみを持っていただけるよう更新を続けておりますので、ぜひ他のブログもご一読いただけますと幸いです。

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